ライター、ワインエキスパート【冨永真奈美】

MY VIEWS

恩師、ビストロでのアルバイト、ボルドーの赤ワイン、今だから分かること、Chateau Figeac 2000

恩師

20代のとき、ビストロでアルバイトをしていた。

フリーランスになったばかりでまだまだ安定した収入確保には程遠かったので、友人を通じて月に数回シフトに入れてもらうことになったのだ。毎日飲むくらいワインが好きで興味を持っていたので、まさに「渡りに船」のアルバイトだった。

実家のある広島にあったそのビストロのオーナーシェフは、村上さん(仮名)という名の当時50代後半の男性だった。毎日ほぼ満席のそのビストロでは、村上さんの創作料理や村上さんが選んだワインが提供されていた。独創的なメニューが評判を呼び、東京のキー局含めテレビや雑誌などのマスコミの取材が絶えないビストロだった。今だから分かるのだが、マスコミを呼ぶ策をなんら講じていないのに頻繁に取材を受けることはすごいことなのだ。

アルバイトの仕事内容は、注文を取ってワインやビールなどの飲み物や料理を運んだり、おしぼりをつくったり、グラスやお皿を洗ったり、料理を一部準備したりすること。ソムリエナイフで抜栓することも含まれていた。

失敗もすごく多かった。もちろん、ものすごく怒られた。村上さんは普段はとても穏やかなのだが、怒るとすさまじくこわかった。なんというか、仁王像みたいな迫力があった。

人から指図されたり何か言われたりするのが今も昔も大嫌いな私であるが、村上さんに対してはいつも素直に「はい!」と言えた。なぜなら、絶対に「二度とやってはならない」ことを指摘する正しい指導ばかりだったからだ。「そういうやり方をしてるとケガをするから」とか「それを今やってたら、あのテーブルの待ち時間が長くなる」とかいったような内容だったと記憶している。

村上さんは私が理解したと思えばすぐにいつもの穏やかな顔に戻った。バイトが終わると、「美味しいポートワインがあるから飲んでいきなさい」と、カウンターで飲ませてくれるなどとても気前の良い人でもあった。バイト終了後とはいえ、お客さんの横に座って飲ませてくれるなんて、「村上さんはちょっと外国人みたいな感覚の人だなあ」とワクワクしていた。

ビストロの主力アルバイトは、将来自分の飲食店を持ちたい若者や、デザインを専攻する学生たちだった。そのなかで私はみんなより一回り年上だったし様々な点で異色な存在だったと思う。

でも村上さんのもと、私たちはみんな仲間だった。村上さんはバイトの間で「あの人は私たちと違うよね」と遠巻きに見るといった排他的な言動を取ることを決して許さない人だった。バイトのシフトを決めるための集まりにはいつも気前の良いまかないがついた。私のようにあまり登場しない幽霊メンバーも気軽に参加してまかないを楽しめた。山もりのステーキ、チーズ、シャンパン、ワイン……そしてときに村上さんの新作料理を楽しみつつおしゃべりが弾んだ。将来飲食店を持ちたい人々は「どんな店にしたいか」について、デザイン専攻の学生たちは卒論のテーマや卒業後の進路について真剣に話していた。私はそんな会話をただただ聞いていた。ものすごく楽しい集まりだった。こうした集まり以外にも、ワインピクニックなどのイベントが定期的に行われていた。

そうした機会に、村上さんは私たちの話をよく聞いてくれた。村上さんには自分の描く将来像や目標について素直に吐露することができた。なぜなら、「いろいろつらいこともあるだろうけれど、必ずなんとかなる。大丈夫だからね」といつも元気づけてくれたからである。周囲のほとんどの人々が言うような、「そんなバカなこと言ってて、これからどうするつもりだ。考えが甘いにもほどがある。お前にそんなことができるわけがない。現実を見なさい」といった、個々の適正、属性、状況を全く無視した批判がましいことを決して言われなかったからである。

村上さんは、半世紀を超える年月にわたりオーナーシェフとして厨房に立ち続け、過酷な競争を余儀なくされる飲食業界で独自の揺るぎないプレゼンスを築き上げた方だ。そんな村上さんにしてみれば、私たちの将来像や目標は甘い考えでもバカな考えでもなく、計画性と実行力をもってクリアするべき人生におけるいくつかの重要な通過点に見えたのだろうと思う。他のバイトのみんなも同じように感じ、村上さんを頼り信頼し、いろんなことを打ち明けていた。

その後、私は再び東京へ引っ越すことになった。最後の挨拶に伺ったとき、村上さんはシャンパンとボルドーの赤ワインをプレゼントとして手渡してくれて、笑顔と共に「いつでも戻ってきなさい」という言葉をくれた。村上さんはボルドーのワインを特に好んでいた。どの銘柄だったか覚えていないが、赤を基調としたクラシックなデザインのラベルだったと記憶している。もうビストロに戻ることはないと分かっていながら、いつでも戻れるところがあるという暖かな気持ちで故郷を再び後にした。

その後も帰省するたびにお客さんとしてビストロを訪れていたが、いつしか足が遠のいてしまった。最近、ふと気になってネットで調べてみると、ビストロは閉店したと書かれていた。

恩師という存在がある。若い頃はそれが誰なのか分からないこともあるのだが、その後の人生で「あの方は恩師だった」とくっきりと浮かび上がってくる存在がある。

村上さんは間違いなく私の恩師である。

これまでの人生で「こんなことをしたら村上さんに絶対怒られる」と自分を正したことが何度もある。また、「こんなことができたら村上さんに絶対褒めてもらえる」と自分を奮い立たせたことも何度もある。

村上さんにお会いして、あらためて感謝の気持ちを伝える機会はおそらくもうない。なぜ疎遠になるという恩知らずなことをしてしまったのだろうか。自分のこれまでの人生の中で、あのビストロほどやめたくなかった職場はなかったというのに。

この数年、ある理由から村上さんのことを頻繁に考える。考えるたびに涙が出てくる。村上さんへの感謝の気持ちは永遠に続いていく。

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