ライター、ワインエキスパート【冨永真奈美】

MY VIEWS

美しい桜の下で、ロゼワインが美味しい季節、16年前の出来事

ロゼワイン

春になるとある女性を思い出す。およそ16年前のことだ。

美しい梅や桜で全国的に有名な公園が近所にある。そこであかちゃんだった息子を連れてよく散歩していた。あかちゃんを連れていると話しかけられることがある。大抵は「かわいいですね」といった好意的な言葉が多いが、「かわいい」という言葉がでたからといって良いことばっかりでもない。

例えばさ、「まあ、かわいいわねえ、お父さんにきっとそっくりなのねえ」とかさ。
「なんでわざわざいないほうをほめるんだよ、このクソババア(あるいはクソジジイ)」と面と向かって言わなかったことが大層悔やまれる。

新米母さんとあかちゃんのセットを見ると、子育て方法についてマウントしてきたり長話をしたがったりする知らない人もいるので、いつも適当に切り上げるようにしていた。

その日は公園近くの飲食店で、隣の席にいた、多分50代に差し掛かるくらいの女性に「かわいいねえ」話しかけられた。「今回はどっちのタイプだ?」とアラームがガンガン鳴った。

「今何歳?」
「まだ0歳です」
「かわいいねえ。うちの息子、大学卒業後就職して2年目なの。うちの子もこんなに小さかったのにね」

その女性がスーツを着ていることに気付いた。それほど上等なスーツには見えないが、丁寧に扱っていることがうかがえた。額と眉間に品の良いしわがうっすらと寄った、感じの良さが滲み出ている人だった。

「今日はこの近くで面接があるのよ」という。それを皮切りに、私をほとんど無視したモノローグが始まった。

私ね、出産するまでは正社員で働いていたの。子供が生まれて、家事も育児も一人でやってきたようなもので、その間は社会との関わりはあまり無かった。うちのだんな、何も手伝ってくれないもん。私ね、短大を出て、それなりの待遇で就職もできていて、たいした仕事はさせてもらえなかったけれど、それなりにやりがいも収入もあったし充実していたの。でも結婚、妊娠、出産で生活が変わってしまった。

だんなはね、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターを引き合いに出して、「インテリ女性は違うね、やっぱり女性もこのくらいでなきゃいけないね」なんて言うのよ。じゃあ仕事に戻りたいと言うと、「家事や育児はどうすんだ」って、なんの協力もしない。矛盾もいいとこだし、悔しくて情けなかった。男親なんてそんなものかなとあきらめていたけど、今にして思えば我慢ばかりせず、もっと希望や不満を口に出して行動に移していればよかった。今日は面接なの。退職してから仕事と言えば、在宅でできるデータ入力をしたことくらいかな。面接なんてもう不安で仕方がない。何を聞かれるのかな。募集されてた仕事は庶務と書いてあったけど、どの程度パソコンできればいいのかなあ。周りは年下ばかりなんだって・・・・・・

切羽詰まった女性には悪いなあと思ったが、すごくおもしろかったので帰宅してすぐにこのモノローグを書き留めたほどだ。国谷裕子さんを引き合いに出されたら、そりゃどうしようもないよね。比較の対象が適当ではないですよ。(知人によると、ご本人はプロ中のプロ、なおかつ非常に腰の低い周囲に配慮するタイプの方だそうだ)

私はその時、保育園や保育室の空きをいまかいまかと待っていた。私の住まう地区はかなりの激戦区であった。空いたらすぐに手続きして席を確保する必要があったので、携帯を肌身離さず持って。数日後、1席空いたという連絡があり、すぐさま訪ねて手続きした。

今も思うけど、この女性はほんとに強い人だ。数十年の空白の後、オフィス勤めに戻るのは勇気のいる決断だったろう。周りは年下が多かったそうだし、パソコン導入などオフィス環境も進化しているから。

春になると、近所にある美しい梅や桜で全国的に有名なその公園で、桜を見ながらロゼワインを飲むことがある。息子はもうあかちゃんではないし母親をうざがる年齢なので、残念ながら一緒には来てくれない。良い子に育っているからいいか。「我慢ばかりせず、もっと希望や不満を口に出して具体的な行動に移す」という言葉を聞いたおかげで、「なんとかやってこれました」とあの女性にお礼をいいたいと思うのだが、いつかまた会えるだろうか。会えたらいいなと思う。

 

 

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