ライター、ワインエキスパート【冨永真奈美】

MY VIEWS

ロスジェネまたは失われた10年

Joao Cabral de Almeida Camaleao Alvarinho 2017

同年代のワイン好きな友人と語り合うのは楽しいものだ。その話題がちょっと、いやかなりほろ苦いものになってしまったとしても。ワインは「飲んで忘れる」とか「飲んで管を巻く」という酒ではない。むしろ「飲むことで物事に向き合う」ようになる不思議な酒である。

なもので、同じ団塊ジュニアの友人とワインで語らうデートをしてみた。

まずは南フランスのヴァン・ムスーで乾杯。その直後から、同年代ならではの「キーワードで始まるネタ話」でキャッキャと騒いだ。例えば「ポケベル」とくれば「裕木奈江」など、何がツボで何がオチなのかがすぐさま分かる、というタイプの確認的な会話のことである。「黒電話」とくれば「うざい取り次ぎ」、「テレホーダイ」といえば「夜の23時まで待ってメール一斉送信」、「ネット」といえば「ピポパポパピピ、ピ-ガガガ(ダイヤルアップ音)」などネタはつきない。

そんなたわいもないネタ話のすき間から、「私たちはロスジェネだね」という言葉がこぼれ落ちた。

私たちは1990年代に社会に出た「ロストジェネレーション(ロスジェネ、失われた世代)」である。昭和どっぷりの親世代から、「がんばったら報われる」(=国と会社に面倒を見てもらえる)と発破をかけられ、どの世代よりも厳しい競争にさらされて世の中に出た。しかしその時すでにバブルははじけ、経済は後退の一途を辿り、正規雇用激減、経費削減、リストラが当然の社会になっていた。

「今になってロスジェネ問題と認めて、厚生労働省が就労支援とか始めたよね」

「人生再設計第一世代」とか「活躍支援」とかいう無神経な言葉に、「今さら何だ」とカチンとくるロスジェネは多いはずだ。

私たちは就労支援は必要ないし、そもそも「企業による終身雇用」を前提とした働き方を求めないタイプではある。私は幸い10代の頃からイメージしていたようにビジネスを法人成りさせたし、友人は一流外資系企業のキャリアアップ転職を成功させてきた。

しかしこの生き方にがぜん拍車をかけたのは、先の「がんばったら報われる」という妄想を鵜呑みにして生きていれば必ず行き止まりになるという危機感に他ならなかったのだ。

それでも迷い悩み苦労したが、「きみらは貧乏なんか知らない」、「きみらより大変な人はもっといる。努力と根性が足りない」、「社会のせいにするな」と、まあ本当によく言われた。

つまり、「自己責任」だと刷り込まれたのだ。この「自己責任」と言う概念が誕生したのはあの1990年代である。

「『自己責任』を刷り込まれているから、ロスジェネ問題についての思いを普段は口に出さない、というか出せない同年代は多いよね」

ロスジェネの数は実に1700万人である。そのうち約400万人が今でも安定とは程遠い孤立した生活を送っているという。ロスジェネ世代が落ちたのは、自助努力だけではどうにもならない過酷な社会構造だ。一億総中流社会は崩壊に向かっていたのである。

こうしたロスジェネに課せられた負担の重さや問題は適切に認識されていたのだろうか。四半期世紀以上を経た後に、ロスジェネにまつわる様々な社会問題-介護、未婚化、少子化、ひきこもり―が噴出することは適切に予測されていたのだろうか。

これまで、「経済が停滞しているのは若いのがだらしないせいだ」と思考停止に陥った年配者を多くみてきたように記憶している。結局のところ、ほとんどの人が「他人事」あるいは「自己責任」として見て見ぬふりをしていたのではないかと思う。

昨年から始まったコロナ禍により、多くのロスジェネがさらなる苦境に陥っているという。

今回も「他人事」あるいは「自己責任」として見て見ぬふりが続くのだろうか。そして何より、私を含め人生の円熟期にあるロスジェネ世代はこれをどう見るのだろうか。ロスジェネ問題を自分事として捉えているはずではあるが、「逃げ切った」ロスジェネは、「逃げ切れなかった」ロスジェネに「こっちも大変だったよ。きみらには努力と根性が足りない」と言い放ち、見て見ぬふりをすることになってしまうのだろうか。

この日、私と友人はああでもないこうでもないと語り合いながら、グラスワインをてんでに飲んだ。どれも美味しかったけど、話に夢中でおもしろすぎて何を飲んだのか正直覚えていない。

最後に一緒に飲んだのは、Joao Cabral de Almeida Camaleao Alvarinho 2017(ジョアン・カブラル・アルメイダ カメレオン アルバリーニョ 2017)だったかと思う。

塩気が強く、ほろ苦い。グレープフルーツやライムのシトラスが香り、爽やかな酸味とミネラル感が広がる生命力いっぱいのワインだった。まるで私たちの来し方行く末を彷彿させるようなワインである。

アルバリーニョで乾杯。次は他の同年代もゲストとして声をかけるのもいいね。

*2021年に公開したエッセイです。

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