今も昔も私の最大の趣味は映画鑑賞である。
中学生と高校生の頃、私は映画雑誌『ロードショー』を毎月買っていた。新しい号が発売される日に、書店へ走って買いに行ったものだ。インターネットもNETFLIXも無い時代、紙の雑誌は映画情報を入手する唯一の手段であった。そこで得た情報をもとに、多くはないお小遣いをはたいて見る映画を慎重に選ぶという、面倒くさくもワクワクするプロセスを楽しむ時代だったのである。
『ロードショー』の世界は、映画そのものと同じく憧れの存在だった。しかしどんなに憧れていても、映画の記事を書かせてもらえる可能性はほぼ皆無だ。関わるなら手段はたった一つ。読者コーナーに自分の意見やネタを載せてもらうことである。なものである日思い立ち、雑誌を読み込み、映画を見て、思いついたことをハガキに書いて送ってみた。そして最新号を買い読者ページを開いてみた。
ある、ある、載ってる、私のペンネームで私のネタが載っている!しかも編集者さんのひとことコメント(時にダメ出しっぽい♪)や映画の写真まで添えられている。ほんとの映画の記事みたいだ!すごくうれしかった。編集者さんはただの高校生の私のハガキをちゃんと読んでくれてるんだと感激した。
ハガキ1枚につきネタはひとつ、何枚送っても良いシステムだったので(ハガキというのがレトロでよいでしょ?)、「数打ちゃもっと当たるかな~」と、3枚、5枚、ときには10枚程度はがきを送ってみた。2つか3つのネタを同時に掲載してもらえたこともあった。そう多くはないお小遣いで毎月ハガキを買うのは、高校生にとってイタい出費だったが一向にかまわなかった。どんなネタを書いていたのかあんまり記憶にないのだが、人気の映画をベースにしたアクの強いつぶやき的な冗談が一番ウケるようで掲載される勝率も高かった。
最初のうちはただただ楽しく書き送っていた。しかし掲載される頻度が上がってくると、がぜんマジメになった。自分のネタと他の常連読者のネタを読み比べたり、「中央の目抜きスペースにでかでか載るにはどうすればいいのか」と策を練ったり、自分のネタが載らなかった号の他のネタを読み込んで「なんで選ばれなかったのか?」と分析を試みたりしてね。自分なりに「マーケティング」に尽力していたといえるだろう。
それと同時に、映画評論家による雑誌本編の映画記事を熟読した。『ロードショー』に端を発し、成田陽子氏、小西未来氏、中野翠氏、川本三郎氏、石川三千花氏、小森和子氏・・・・・・様々な映画評論家やエッセイストの著作を読み漁った。
これら評論家はそれぞれの独自の視点にもとづき、独自のスタイルで時に辛辣なジョークや風刺や自分の経験を赤裸裸に交えて、映画への洞察や批評を書いておられた。批評対象となる映画よりも興味深いこともあり、だからこそ多面的に映画の魅力を探る手掛かりともなった。
もしかしたら、この評論家の方々も読者コーナーを読んでくれてるかも。そんな想像をしてワクワクしていた。そう、この雑誌が繰り広げる世界は、東京やハリウッドを遥か離れた日本の田舎町に住むただの高校生に「私にもなにか特別なものがあるかもしれない」と、一縷の光を与えてくれる希望の象徴みたいなものだった。
それほど熱中していたのに、いつしか読むのもハガキを送ることもしなくなっていた。2008年に休刊になっていた。さみしいなあと思いつつも「私も読まなくなったもんね」と、自分の行動も休刊の理由の一部を成しただろうことに罪悪感を覚えた。
そんなある日、ふと『ロードショー』について検索してみた。すると、2022年3月に集英社オンラインが創刊され、ここで『ロードショー』が復活したというではないか。早速サイトを閲覧してみた。なつかしくてちょっと涙が出てきた。
読者コーナーはない。でも、読者としてレターや感想を送ることはできるよね。編集者の人々は、自分たちの作る媒体への感想を聞くことが好きだという。(もちろん好意的な感想ではあろうが)私も自分が記事を書く媒体の編集者さんには、その他の記事に関する感想を言うようにしており、とても良好な関係を築いていると思う。
今も昔も私の最大の趣味は映画鑑賞である。
読者として、『ロードショー』にレターや感想を送ってみようと思う。
追伸:
いまどき、趣味は映画鑑賞だと履歴書に書く人いるんでしょうかね?それ書いた時点で書類選考に落ちるとか?